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2016年07月21日

南観音山の「百足屋町」復活!

南観音山の「百足屋町」復活!


わずか2日前の7月19日、『仁丹町名表示板 今、何枚』を発表したところですが、早くも変化が現れました。日々動きのある仁丹町名表示板に驚きです。

祇園祭の山鉾町が連なる新町通には“平成バージョン”が5枚も設置されましたが、その1枚、南観音山の町会所に設置されていた「百足屋町」が、町会所の建て替えのため姿を消していました。希望されて設置された平成バージョンだったので、廃棄されることはなかろう、きっと復活するはずだと信じていたものの、新しい町会所がお目見えし、祇園祭も始まったというのに仁丹町名表示板は一向に姿を見せず気になっていました。

ところが、後祭りに間に合わせるかのように、7月20日、見事に復活しているのを確認しました。念のためにと前を通りかかったところ発見、絶妙のタイミングでの再登場となりました。これで「現存」1枚追加です。



ところで、“平成バージョン”とは、森下仁丹株式会社が創立120周年記念の一環として取り組んだ「京都町名琺瑯看板プロジェクト」により製作・設置された仁丹町名表示板のことです。詳しくは次の記事をご覧ください。(青い文字はリンクしています)

   京都仁丹町名看板プロジェクト始動
   復活仁丹町名表示板・第一号 京都市役所に設置!

ちなみに平成バージョン第1号として平成23年2月10日午後1時30分に京都市役所に設置された「上本能寺前町」の仁丹町名表示板も庁舎建て替えのため現在姿を隠していますが、しっかりと保管されており、新庁舎完成時には復活の予定だそうです。

また、髙辻麩屋町の「鍋屋町」も一時期取り外されていましたが、この度、看板の上に堂々と復活しました。ありがたいことです。




しかしながら、このように大切にされる仁丹町名表示板がある一方で、またまた仁丹町名表示板だけが姿を消すという事態が花屋町通でつい先日発生してしまいました。

と言うことで、「現存数」は672+2-1で673枚となりました。

~京都仁丹樂會~
  
タグ :百足屋町


Posted by 京都仁丹樂會 at 23:25Comments(0)トピックニュース統計

2016年07月19日

仁丹町名表示板 今、何枚?

第2回ローラー作戦実施 現存数672枚に 68枚減少!



~国土地理院ウェブサイト(http ://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do#1)より~


今、この京都のまちに、仁丹町名表示板は何枚あるのか?
を正確に知るため、このほど第2回ローラー作戦を実施しました。京都仁丹樂會の會員それぞれがエリアの分担を決め、2016年3月~6月の短期間に一気に京都市内全域を見て回りました。結果は次のとおりでした。

現存数 ・・・ 672枚
消滅数 ・・・ 542枚
埋蔵数 ・・・ 187枚

「現存数」というのは、基本的には現役の仁丹町名表示板のことです。そもそも道行く人に見えるようにと設置され、それが今も継続しているものです。ただし、極少数、町名表示板として機能しているのか?と悩む個体もありますが、ずっと設置され続けているという意味で現存数にカウントしているものも含まれています。

「消滅数」は、家の解体や改修などに伴い消えてしまった数です。廃棄されたものもあるでしょうし、もしかしたらどこかで保管されているものもあるかもしれませんが、とりあえず姿を消し消息不明となったものです。

「埋蔵数」は、コレクションとして所有されているもの、家の改修などにより取り外したものの廃棄されずに保管されていることが確認できているものなどです。

第1回ローラー作戦は、今から3年前、現存数確認と併せて、保存活動としてのリーフレットの配布を行いました。詳細は当會ブログの次の記事をご覧ください。青い文字はリンクしています。
 ローラー作戦始動! 仁丹町名表示板
 2013 最新統計 ~仁丹町名表示板~


それでは、この3年間でいかなる変化があったでしょうか? 次の数字をご覧ください。


何と、この3年間で現存数が68枚も減少してしまいました。「現存」でなくなるということは、「消滅」または「埋蔵」に移行したわけですが、これら両者の増加数を合算すると 43+67=110 となり計算が合いません。その原因は、過去の写真や新たに発見した埋蔵など、私たちが今まで把握していなかった個体の存在が、この3年間で42枚出現したことを意味しています。

※     ※     ※

最も関心のある数値は「現存」の“減少数”でしょう。一見、“68枚もなくなった!”となるのですが、現実はもう少し深刻です。実は「現存」の中には、長年埋蔵されていたものが突如として復活したものや、前回のローラー作戦では設置家屋が解体され「消滅」に区分していたものが建て替え後の新築家屋に再び掲げられたなど、「消滅」または「埋蔵」から「現存」へと返り咲いたものが11枚ありました。したがって、実際にこの3年間に姿を消した仁丹町名表示板は68枚よりも多く、残念ながら79枚となります。

では、この現実に消滅してしまった79枚について、その原因を分類すると次のような内訳となりました。

(1)設置家屋の解体  26枚
(2)設置家屋の改修  15枚
(3)仁丹町名表示板だけが姿を消したもの  35枚
(4)その他  3枚

(1)解体や(2)改修で姿を消すのは、残念ではあるものの従来から見られた自然な成り行きとも言えます。そのまま産業廃棄物として処分されたかもしれませんし、商業取引のための経路に乗ったものもあるのかもしれません。
はたまた何度か経験したように町内で守られていていずれ復活するものもあるかもしれません。現実に、新築後あるいは改修後に再び設置するつもりで保管中だというものを少なくとも5枚は確認しています。これらは現時点では一旦「埋蔵」にカウントしていますが、そのうち「現存」の仲間入りをすることでしょう。郷土資料として近所の小学校に保管されたものもありました。

(4)その他というのは電柱に付いていたものが、電柱ごと取り替えられてしまい行方不明となるなど、イレギュラーなケースです。

これらに対して、誠に残念至極なのが「(3)仁丹町名表示板だけが姿を消したもの」です。減少数の何と44%を占めます。設置されていた環境は何も変化がないのに、仁丹町名表示板だけが姿を消してしまっているのです。このケース、誰しも思い浮かべるのが盗難という悲しい事態でしょう。中には盗難を恐れて家の奥深くに埋蔵されてしまったものも複数確認していますので、すべてが盗難とは限りませんが、家の方も私たちが尋ねるまで気づかれなかったこともありました。いつの間にか骨董店で売られているものもありました。2014年から2015年にかけての年末年始、盗難事件がマスコミなどでも大いに騒がれ一時期は下火になったかと思いましたが、相変わらず忽然と消える事象が発生しているようです。

突然、仁丹町名表示板だけが姿を消してしまったケース、ほんの一例ですが次のようなものがありました。











90年近くも地域に馴染み、景観の一部でもあったものを、一体誰が何の権利があってこのようなことをするのでしょうか? 住所の表示板ですからそれがどこに設置されていたものかは一目瞭然です。しかし、近頃、それを分からなくするためか住所部分を白色で塗り潰し、その上に希望の住所を書くといった新たな手法が登場してしまいました。愕然としました。同様のことが広がらないよう祈るばかりです。

※     ※     ※

さて、最後に気分が明るくなるケースをご紹介しましょう。

ここは、下京区は東洞院通と下珠数屋町通の交差点です。かつて次の3枚の仁丹がありました。
  A 下京區 東洞院通 下珠數屋町 下ル 飴屋町
  B 下京區 東洞院通 下珠數屋町 下ル 橘町
  C 下京區 下珠數屋町通 東洞院 西入 橘町



でも、左右の家が解体され一気に3枚が減少したものの、2015年に相次いですべてが復活、引き続き“3枚ヶ辻”健在となりました。下の写真が現在の様子です。




その他にも、私たちが今まで全く把握していなかったものが、突如設置されていたというケースも複数ありました。家の御主人曰く『家を建て替えしてから仕舞い込んでたけど、やっぱり付けなあかんなぁと思ったんや』と仁丹町名表示板に対する愛着、そこから垣間見える郷土愛に感動する一幕もありました。さらに、家の改修後にはあえて手の届かない高い場所に再設置されるものもあり、大切にしていこうという気持ちが読み取れ嬉しくなりました。

仁丹町名表示板が注目されて、心無い仕業で減るものもあれば、逆に町内で大切にしなければという気持ちも強まっているようで、一喜一憂させられる第2回ローラー作戦でした。

~京都仁丹樂會~
  

Posted by 京都仁丹樂會 at 06:52Comments(5)統計